『すべては自分が源なんだよ』

「お母さん、こわい。鬼みたい」

昭和の風薫り高い1970年代の幕が下りる頃、私は心身共にボロボロでした。
お肌は荒れに荒れ、人と目を合わせることさえできず、家族が眠ると毎日のように枕を涙で濡らしていたのです。

今も昔も、女性は男性に比べればライフステージが変わり、生き方が変わっていきますね。
当時は、結婚・出産は女性が立たなければならないステージの一つ。
そしてそれは個人の問題ではなく、家の問題だったのです。

嫁姑の問題は我が家にも当然のようにのしかかってきました。
それだけでなく舅は仕事ができないくらいに身体が弱くて収入がなく、夫がひとり一家の家計を支えていました。
現在ほど社会保障が充実していない時代でしたし、私が自由に使うお金を持つなど、夢のような話。
家とお金のことで頭がいっぱいになり、思うようにできない自分を好きになれず、子供にもストレスをぶつけていました…

そんな中長男から言われたのが、冒頭のセリフ。
まだ20代後半だったのに私は老婆のように老けこんで、目は吊り上がって、角でも生えているように彼には見えていたのでしょう…

しかしその言葉は同時に、私が奮起するきっかけでもあったのです。
「どうにかしなければならない…!」

そんなときに脳裏をよぎってきたのが、今は亡き母がよく言っていた「すべては自分が源なんだよ」という言葉でした。
自分が変わらなければならない。
周りや人を変えようとするのではなく、自分が自分の手で幸せをつかまなければ!
家の外に出て、自分が自分として生きられる世界を作るのだ!

けれど女は家にいるもの。
女が外で働くなんて…と思われていた時代。
今となってみれば隔世の感がありますが、皆が同じ価値観を共有し、それからはみ出すものは世間から白い目で見られていたものだったのです。

意を決して夫に話してみると、案の定、
「俺の給料でやっていけないことはない!」と最初は反対されました。

しかしそれで折れる私ではありません。
次男が生まれた一年後、反対を押し切り、31歳で下着の訪問販売の仕事を始めたのです!

それからさらに一年後、化粧品のみの販売に切り替えた私は、なけなしのお金でちょっと高級な毛皮のコートを買いました。
周囲の目もあり、外でそれを着るわけにはいかなかったので、軽の狭い車に押し込み、
「必ず成功して、このコートを大手をふるって着られるようになるのだ!」
と息巻いていたのでした。

母が言ってくれた「すべては自分が源なんだよ」という言葉。
これにはもう二つの深い意味があったことに、仕事を始めてから気づきました。

一つは「自分から他者を尊重すれば、相手もそれに応えてくれる」ということ。
自分が源となって、人の良い部分に意識の焦点を向け、自己重要感を持ってもらって、笑顔になってもらう。
そうすればその人も他の人に同じようにしてくれる。
そうなれば、自分が源となって、世の中を少しでも良くすることができる!

もう一つは、何か問題が起こったときに誰かのせいにするのではなく、まずは自分に問いかけてみる、ということ。
「自分が至らない点はどこだったのだろう?」
人を変えることはできませんが、自分を変えることならできます。
自分の中でうまくいかなかった原因が分かれば、次はこう問いかければよいのです。
「どうすれば、うまくいくだろう?」

母からもらった言葉を、私は40年間貫いてきました。
それは私の翼となり、夫も私の仕事を認めてくれるようになり、家庭は円満。
1998年にオープンした現在の店舗も今年で21年目になります。

多くの素晴らしいスタッフ、販売士さんが私を支えてくれました。
娘・息子たちもたかせいに入り、サロンを支えてくれます。

そしてなにより、お客様。
お客様と気さくにおしゃべりをしている時間が、なによりも「私が私として生きている時間」です。

「たかせいを知ってよかった!たかせいに来てよかった!」と思っていただきたい。
おいでになる前よりも心身共に元気になってお帰りいただきたい。
それが、あのころボロボロだった私の一番の願いなのです。
元気でなければ、源にはなれませんからね。

念ずれば花開く。
令和という新しい元号を迎えるにあたって、世の中はさらに難しくなってくるでしょう。
時代のムードとは裏腹に、格差はさらに拡大し、私たち日本人は持てる者と持たざる者に分かれることになるかもしれません。

その一方で、女性がさらに活躍できるチャンスが増えてくると思います。
今も昔も、どのライフステージにいても、ゼロからの出発でも、自分の人生をつかむことができるのです。

そんな想いから、現在では独立開業の支援も行っています。
今度はその方々が源となって、世の中をもっと良くしてくれるでしょう。
もちろん、私だってまだまだ負けない気でいますよ(笑)。

桐生から群馬を元気に。
群馬から日本を元気に。
たかせいが源となって、それを実現させる。
それが70歳になった私の今の夢なのです。

たかせい代表
高梨静江
平成最後の月に

たかせい代表・高梨静江

【高梨静江 プロフィール】
1980年より、桐生市内で下着の訪問販売を始めるものの、化粧品会社に下着を売り込みに行った際に化粧品の販売を勧められる。
「二兎は追えない」と下着の販売を止め、化粧品のみの販売を始める。
1985年、有限会社たかせいを設立。
1988年より、現在の主要取引先であるKIRA化粧品の販売を始める。
自宅をサロンに改装、月に100名のお客様を集める。
1998年、現在の自社サロン『サロン・ド・キラたかせい』を桐生市相生町にオープン。
2003年、たかせいを株式会社に登記変更。
創業以来一度も離脱することなく、約40年間を走り続ける。
現在では休業日以外毎日サロンのカウンターに立ちお客様を迎えている一方で、美容で自分の世界を持ちたい方のための独立開業を支援している。